Welcome to そべど
農民高橋秋空思に思う
月刊ろうきん アジア新紀行「中国・香港編」
変幻自在な香港人
言葉における放任主義
大いなる香港人の胃袋
骨休めのお正月
香港住宅新事情
郷に入って君臨す?
読売新聞 YOMISAT 中国・アジア衛星版
リレーエッセー香港
 
ホスピス運動への共感
「環境」に通じる動物愛護
「無農薬園芸」の勧め
自然体でエコロジー
効率悪い電力消費
しらけムードの総選挙
鼻白むエコ空港
ベジタリアンのススメ
「大気汚染」解決に望み
養子を認める暖かさ
ローコスト育児のススメ
香港流子育ての矛盾
「牛乳騒動」利益優先にノー
朝日新聞国際衛星版
日曜倶楽部 香港PR版
香港の環境を考える
香港 安心食生活ガイド
 

月間ろうきん10月号掲載
アジア新紀行「中国・香港編」

変幻自在な香港人

1997年7月1日午前零時、ついに香港は中国になった。その瞬間、ユニオンジャックと入れ替わりに五星紅旗が上り、実に155年に及ぶ英国の統治に終わりを告げた。根無し草をもって自ら認ずる香港人に「祖国」ができた(あえて復帰とは言わない。例えてみれば、父親の再婚で新しいお母さんが「できた」感じにより近い様に思われるからだ。)

 今日の香港があるのは、そもそも前世紀帝国主義時代の英国が清朝に阿片戦争を吹っかけ香港島をかすめとったのが発端である。それまでは香港といえどもさびれた漁村が点在する「不毛な岩場」に過ぎなかった。
 香港6百万市民のうち、おおっぴらに「回帰」を祝ってさまになる原住漁民の子孫がいかほどおろう?大多数は、日中戦争や共産革命の禍を逃れて、あるいは一旗上げようと自由の天地香港を目指して来た中国人及びその子孫である。香港は彼等が自主的に選びとり、汗水たらして今日の繁栄の礎を築いた、かけがえのない「我が家」なのである。

 その瞬間をとらえようと、世界中の報道陣が香港に殺到したが、他所の熱狂ぶりとは裏腹に、香港人は実に淡々とその日を迎えた。
 香港人にとって返還は何も昨日今日始まったことではない。交渉が幕を開けた82年以来、84年の英中による共同声明、89年の天安門という二つの大きな波をかいくぐり、移民や居ながらにして第三国のパスポート取得に奔走し、不動産や株式市場の浮き沈みに一喜一憂した。  自由放任な分だけ、自分の才覚が頼りの社会でもまれた香港人は、その並々ならぬ生命力と変わり身の早さで知られる。打つべき手はすべて打った、と納得した市民はくよくよしても始まらないと、今度は来る祖国へ帰る日に備えて、北京語学習や中国相手の商売に熱を上げだした。こうして返還が秒読み体制に入る頃にはすっかり悟りの境地に達し、ほんわかと祝賀ムードが漂い出す程までになったのである。

 すっかり肩すかしを食った格好の報道陣であるが、なにしろ返還がらみで私が直接被った影響と言えば、日本のマスコミの取材・取材協力申し込み殺到(?)に尽きるのだから、あとは推して知るべし、であろう。

 私同様普通の人のテニスコーチは、突然の時の人扱いをおもしろがっていたが、政治の舞台でも漁夫の利欲しさが見え隠れするアメリカのマスコミに憤慨する者も多かった。なんとか劇的なシーンをカメラに収めようとやっきになるあまり、観光ビザを申請する市民の行列にもっともらしいキャプションを付けてみたり、CNN始め返還当夜は国境でスタンバイする人民解放軍に釘付け、あたかも一悶着起こるのを息をひそめて待っているかのごとくではないか、と。インタビューに答えて、香港人には人権より不動産市場の方が気になる、とコメントしたらそれが大見出しに踊った、とくさる者もあり、私の周囲も否応なく騒ぎに巻き込まれた感がある。

 5連休の巷は祝賀ムードで溢れ、1日中国側主催の花火が前夜の英国側主催の花火より何倍も華やかだったのも人々のにわか愛国心を煽ったのか、復帰後の初出勤日7月3日は「華服日」と銘打ったキャンペーンに応えて、町にはチャイナドレス姿が目立った。
 あれから数ヶ月が経ち、私たちの日常は続いている。もちろん、住所のお尻にChinaが付いて、ああ、そうだった、と時折思い出させられたりする。名前や旗が変わるという公式な変化とは違い、心もち北京語を耳にする機会が増えたとか、簡体字さえ目つくという変化は、あくまで民間主導の、そして何年越しかで起こっている変化である。

 むしろ、50年間何も変わらないという北京の約束にこだわりすぎるのもどうかと思う。なぜなら香港という町は、もともと猫の目のようにくるくる変わり、そこがまた魅力とも言えるのだから。

 車線だって、よかれと思えば一夜にして引き直すお国柄である。それでだめだったらまた元通りにすればいいや、と屈託がない。
 仏教を持ち出すまでもなく、変化こそが生命の本質である。変化が滞った瞬間が死だ。変化や立ち直りが早い香港の町や人を見ていると、こんなに生命力にあふれたところが世界の他のどこにあるだろうか、といつも感嘆の思いに打たれる私なのである。
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