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月間ろうきん2月号掲載
香港住宅事情
香港の住宅事情、一口に言って、悪い。
ただでさえせまい国土の40%はカントリーパークに指定され、開発は御法度。六百万人もの人がひしめきあって暮らそうにも、住めるところは限られている。下町を一歩離れれば、高層住宅の隙間を縫って広がる緑、通勤一時間圏内でも田舎暮しが楽しめるのが香港の魅力、と今では有難がっているが、庭付き一戸建に住めるのは人口の1%に過ぎないらしい。
7月1日特別行政区長官に就任した董建華の所信表明に真っ先に挙がったのも、住宅を何とかする、であった。折しもバブルの真っ最中で不動産市場は過熱し、一般市民の手が出る価格ではなくなっていた。一生懸命働いても家の一つも買えない、とあっては労働者の士気に響く。
しかし、裏を読めば、土地のオークションは政庁の打ち手の小鎚。供給が限られてる以上、完全な売り手市場である。その上、土地調達の手段がもっぱらビクトリア港の埋め立てときては、何をか言わんやである。19世紀の海岸線と現在及び計画中の埋め立て地図を見比べ私はくらくらきた。抜いた歯の根っこの形のほっそりした九龍半島が、たったの百年でほぼ3倍になんなんとしている!出来たばかりのウエスタン・ハーバートンネルの回りもすごいが、もうすぐご用済みの啓徳空港滑走路の両脇を埋める工事に至っては、「半島」なんて完全に死語にしてしまう勢いである。開港迫る赤鑞角新空港にしてからが、島のてっぺんを吹っ飛ばしてできた土砂で埋め立てたという荒っぽい代物だ。(返還のマスコットに祭り上げた中華白イルカは、餌場を奪われ絶滅寸前。)
余りの惨状に、観光資源でもある港を守れ、という運動が巻き起こった。このままではビクトリア港ならぬビクトリア川になってしまう、という主張に私も強くうなづく。
大気汚染が進みピークから港を臨もうにも肝腎の港が見えない、あるいはここにきてアジアの通貨危機に引きずられる形で暴落した株式市場が、観光不振、不動産市場の低迷を招くと、さすがに人々は内省的にならざるを得えまい。住宅も安くなったが蓄えも半分に目減りした一般市民には気の毒だが、投機目的で手を出したものの売るに売れない「上海蟹」(秋口、生きながら藁でがんじがらめに縛られた蟹が店頭を賑わす)人士にはいい薬になったろう。経済優先による環境悪化を憂える私は、香港の路線変更を密かに期待しているのだが、どうなることやら。
もともとがバブリーな香港人、現在ビッグな経済人は逆境に不動産を買いあさって今日の地位を築いた人ばかりである。小学生も切手を買い占めて投機に走るお国柄だ。
不景気、不景気、と言うが、私の住む新界は住宅や交通網の建設ラッシュだし、この新興住宅地に越してくる中国人を見ていると、どこ吹く風とでもいうか。価格を維持すべく、景観の統一に努めましょう、などという規則はどこへやら、建坪を増やすような改築にうつつを抜かし、あろうことか、隣家の如く庭木を全部切ってしまう輩も多い。どうやら慣れない庭に興奮し、もっと広く使いたいとタイルを敷きつめてしまうらしい。隣家の庭も借景してなごんでいた園芸愛好家の私は義憤に駆られるが、聞くところによると香港人は、移民先のカナダやオセアニアでも同じことをしでかし、
ご近所の反感を買うというのだから恐れ入る。
香港人が町っ子故の悲劇はあとを絶たない。ご近所のお嫁さん(日本人)は、いざお掃除、と窓を開け放つ度、埃が入るというお姑さんの説教に閉口している。婚家に至っては、ががんぼと見れば蚊、こうろぎと見ればごきぶり、と追いかけ回す。猫を飼ったはいいが、喉を鳴らすとすわ腹下した、魚は小骨をとってやっているありさま。鼠はまるごと食べるでしょう、と啓蒙を試みると、「ええ、生で?」「鼠を料理して猫にやるばかがどこにいる!」と一喝すると、たいそう受けたが、改心した様子はない。
香港人の多くは自分が正しいという絶対の確信(根拠不明)を抱いている。それこそ煮ても焼いても食えない人々である。ただこうした劣悪な住宅事情が明日のビッグな自分を夢見る庶民のハングリー精神の涵養に一役かっていることを思うとつい私はにやにやしてしまうのである。
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