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| 月間ろうきん12月号掲載
アジア新紀行「中国・香港編」
大いなる香港人の胃袋
古くは「食は広州に在り」と言ったものだが、今は、げてものさえ除けば断然「食は香港に在り」であろう。(旧宋主国イギリスが動物愛護を徹底した結果、犬肉などは香港では違法なのだ。)
世界一幸せな男とは、「洋風の家に住み日本人の妻を持ち中華を食べる者」という言い慣わしに鑑みても、どうやら中華こそ料理の中の料理と言ってよさそうだ。中でも香港が誇る広東料理は、食材や調理法の多彩さから言って、文句なくその冠たるものであろう。
広東人は冷や飯を嫌う。亜熱帯の香港では食中毒を避ける暮らしの知恵として熱々のものを、それも新鮮な物ばかり食べる習慣が根付いたのであろうが、実に利にかなっている。香港では昔からほか弁が基本だ。お弁当持参の務め人もオフィスに炊飯器や電子レンジがあることを前提にしているのだ。今でこそ若者を中心に流行りの日本食であるが、年配の人の中には今だにざるそばなどをあげつらって日本人は冷や飯を食うと哀れむのがいる。「いいの、日本は温帯なんだから。(殺菌作用がある)わさびもつけるんだし。」と反論が喉まで出かかっても、つい敬老精神が邪魔して、飲み込んでしまう私である。
ただ、基本的に素材のよさを生かし調理はミニマムに抑える和食は、調理という術に観点を絞って見る限りにおいては、およそ中華の敵ではない。中華民族の食にかける情熱は、しょせんは早飯を自慢しては立ち食いそばをすする民族には理解が及ばぬところなのかもしれない。
中国人の食道楽ぶりときたら、なにしろ、空を飛ぶもので食べないのは飛行機だけ、4つ足で食べないものは机だけ、というジョーク(?)が囁かれる程だ。これが実は食養生で言うところの「一物全体」すなわち、奪った命に申し訳が立つよう骨や皮に至るまで残さずいただく、にかなっているのである。なるほど飲茶の人気点心には、鶏の足や牛だの豚だののモツがある。麺類の具もしかり。「湯(トン)」と呼ばれるスープのだしも骨や内臓から取るのが普通だ。
週末は一族総出で外食する。薬膳と改まって名乗らないまでも、医食同源は庶民の生活にしっかり根づいており、その典型的なものが、夏は身体の熱を取る冬瓜のスープ、冬は身体が暖まる蛇のスープや狐(山猫?)の煮物であろう。婚家の飽くなき食欲に気圧されて、スプラッタ嫌いの私はほとんどベジタリアンになってしまったというおまけまで着いた。熱心な仏教徒が多い香港では精進料理も盛んで、お陰様で困ることはない。
盛んな外食産業の傍ら、家庭料理はさぞ貧しかろうと勘繰る向きがあるが、とんでもない話しだ。何時間もことことと煮出す「湯」は、各戸が特に趣向をこらすメニューである。お嫁に行った娘に里帰りを促す決まり文句が「飲湯」においでというものである。
香港の街にはそこここに街市(ガイシ)と呼ばれる市場が立つ。主婦たるもの、食材は毎日新鮮なものを市場で調達するのが務めである。フィリピン始め東南アジアからの出稼ぎお手伝いさんに支えられて、香港女性の社会進出は盛んであるが、この買い物ばかりは任せられない、という人も多い。
野菜はもちろんのこと、魚貝類は生け洲に、鶏は籠に生きたまま売られている。買い物客は生きのよさそうなのをその場で締めてもらうのだ。魚の一皿を出す度、姑は誇らしげにこれは「泳水(ヤオソイ)」と宣言する。
だからこそ一層、その日食べるものはその日手に入る新鮮なものを、という、これまた食養生の「身土不二」(その土地でとれた旬のものを食べる)にかなった香港人の食生活が危うくなりつつあるのが悲しい。
都市化に伴い農地が消えていく一方で、中国から入って来る野菜は残留農薬による事故が跡を絶たないし、近海魚をとり尽くし東南アジア諸国から輸入している魚貝類は早くも絶滅の恐れが出て来た。ビクトリア港の汚染海水をそのまま生け洲に使いコレラが発生するは、乾物に重金属が蓄積するは…とお寒い限りである。ファーストフードが増えて、肥満などの西欧型疾病も問題になっている。
しかし、本来おいしいものとは自然の恵みをたっぷり受けたきれいな食べ物。飽くなき香港人の食欲が、必ずやポジティブに作用して、山積みの食の問題を解決してくれるものと楽観している私である。
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