7 鉛温泉浴中之記 

A   使用テキストについて

 

 鉛温泉浴中之記 

        

 

 原本は岩手県立図書館所蔵「鉛湯・大湯浴中記」

(請求番号1 新・請求番号2 22-81)

文政七年に書かれたらしい・自筆本(県立図書館目録による)

 

著者は菊池武侯(盛岡藩士)

生まれは寛政七年(1795

父菊池藤右衛門武穀、

文政四年から出仕、文政十二年家督

天保四年用人格、天保八年御側兼帯御用人

天保十年歿(1839) 

 

この著者によるものに他に

「扈従衛士録」(県立図書館所蔵)

及び「古今甲冑威毛目囗決考証」(所蔵先不明)

 

中央大学創始者の一人である菊池武夫は菊池武侯の孫。

 (著者に関しては「盛岡藩歴史資料ガイドT」 41・42頁から)

 

本文の概要

 

六月二十六日盛岡の自宅を立ち

湯治のため鉛温泉に向かい

六月二十七日から

七月十七日まで鉛温泉の「三右衛門」長屋(宿)に滞在し

七月十九日夕方自宅に戻るまでの

簡単な紀行文

俳句や温泉場の周辺図及びおおよその費用も記載されている

 

B  本文 

鉛湯・大湯浴中記

 

  鉛温泉浴中之記

 

年ころ疝気の病になやめる事の侍りぬれば

稗貫郡臺村の温泉に浴しけるに是より里か

みさる十五里はかりとやいふめる鉛村の奥山ニ温

泉ありて我病ニハことにしるし有なんと聞つ

れと君乃ゆるしなけれは参りえかたき地なりけ

れは只心に忘られし ひたふるしたふのみにそあ

めりけるが或夜の夢の中にみちひく人ありて鉛ニ

浴するとおほへてこよのふうれしと思ひつつ目さめぬれは

はしめより鉛と有しよしに書つつる事とはなりぬ

 

   六月廿六日 折々小雨昼より晴

終夜降ける雨の暁かたおやみぬる頃此の庵を

旅立て今は桃乃樹も稀ニなれとむかしは

花町といふめる津志田町を打過て

 

   涼しさや雨にぬれたり松の苔

 

   六月廿七日 晴折々微風未ノ刻白雨

渡ぬれは鉛村なる少き橋の本に駕籠おろしつつ

若ものともの腰ニ下つる飯とり出て喰ける折から

 

   風かほる浅瀬のそこの石の色

 

温泉のもとに至りぬれは まつ浴しけり 心の涼しき

折から空かき曇り雨降けれは

 

   夕立に浴こころを洗ひける

 

一 大迫丁九兵衛ト云者川狩ニ手馴とて大山べ三疋到来尤

  川狩の為ニ爰許ニ来居由也

 

   同廿八日 朝小雨後晴

一 郡山の御問屋の手代とも湯治之處明廿九日帰候由に付宿

  許への書状出

  

同廿九日 雨

夜明て降出し雨の絶ゆるひまなくおりおり四方山

のかたより闇きはかり降しきりぬれはうしろなる

川水の忽に増りてみなきる音のわひしと思ひつ〃

 

   来る秋も水のおもてを行夏も

 

   六月晦日 晴

 

一 初伏中伏末伏此三度天気快晴候得ハ諸作極て宜候由  しょふく・ちゅうふく

去〃年去年共ニ初伏中伏雨晴候ても曇末伏のみ晴候由       ・まっぷく

当年も両度共ニ雨降今日末伏之所快晴候得ハ作合

相応ニ可有之と黒沢尻横川目松ノ木之清之丞咄合也

 

   七月朔日 雨

 

   同二日 雨

  

   秋来ぬと雨と臥たり草の丈 

 

   同三日 雨

一 昨夜の雨爰許ハ左程にも不覚處 源大雨ニ候哉 川水夥敷出

 

   同四日 晴

  朝雰のきへ渡りて山も半顕るる頃 郭公の二声

  三こえ鳴ける

 

   哀れふかし山蜀魂秋の空               

 

   同五日 朝雰雨 曇 昼より晴

一 入湯為尋向櫛引良八殿より使を以左之通送来也      文政5年225石余

 

  一 鯛一尾 一 茄子  一 夕顔  一 にんちん  一 ささけ

  一 牛蒡  一 木瓜  一 片瓜  一 すいき   一 葱

 

   七月六日 細雨己ノ刻より止 曇

一 温泉守三右衛門並大迫九兵衛呼候て酒並飯振舞

 

   七月七日 雨昼より止 曇

薬師如来の祭事とて神楽を奏しおちこち

の村里より老たるも若きも男おんなのつとひ集り

て詣ける

 

   翻す袖の露けき里神楽

 

   七月八日 折々細雨

 

   同九日 大雨未ノ刻より晴

さりし月の廿七日此許へまかりけるに雨降つ〃き雨

止ぬれとも曇つるに今宵の空の晴渡りて月の澄けれは

 

   秋の夜の月と成けりすみやかに

 

   同 十日 曇

一 四戸彦作殿より入湯為尋向使ヲ以酒弐升うなき一本    文政5年65石余

  到来也

 

   同 十一日 雨昼より晴

一 櫛引方作殿より使ヲ以酒弐升玉子二十外ニ茄子木瓜    文政5年150石余

  當叔到来也                    荳菽(とうしゅく)

 

 (絵は別紙)

 

   七月十二日 晴昼より折々小雨

 

   同十三日 曇昼過より雨

温泉のもとは寺とてもなく家〃に魂棚とても

なく花巻へまかりて墓参りする者も稀になる

よし浴する人〃もなきはかりに帰りぬれは常より

もいとわびし

 

   心するハ温泉に有とても魂祭

 

   同十四日 雨

一 仙臺岩屋戸にては十五日十六日十九日ニ門火焚候よし

  岩屋戸の者咄合也 城下の事は不心得由申候

一 大迫下丁九兵衛より干山べ十到来也

 

   同十五日 曇七ツ時小雨

一 温泉守三右衛門より濁酒一銚子心太一皿到来也

 

   同十六日 曇昼雰雨

一 三右衛門菓子餅到来

一 明十七日疋人馬早朝罷越候様昨十五日花巻へ申遣也

 

   同 十七日 昼小雨夜中より北風

一 疋人馬六ツ時頃来四ツ時前出立 大沢の温泉並紫土

  臺へ立寄一見 尤鼬幣稲荷へ参詣七ツ時過

  櫛引良八殿宅へ着

 

   七月十八日 曇夕少々雨夜北風

一 櫛引方作殿四戸彦作殿隣御住候て双方ニテ緩〃馳走成

  暮前帰尤両家より干蕨一連ツツ到来良八殿よりハおこし五包

 

   同十九日 雨 石鳥谷より晴 道筋大悪

一 朝五ツ時過良八殿より出立 郡山金子七郎兵衛殿へ立寄上下

  ともに昼飯したため大ニ召故暮六ツ時過着新山船桧(カ)板

  六枚之處渡余程之出水

 

一 鉛宿二間用候ニ付弐歩弐朱遣 尤酒代共に右之通但三廻分

    宿より調物直段

一 壱貫百七文 白米壱斗三升代但此節ハ米高直之節故右之通

    宿方より七升持参都合弐斗上下三人也廿一日分也

一 百八拾文 酒壱升但麁酒也

一 拾弐文 真木壱把但三廻居之間ニ十把用

一 弐百文 起炭一すこ半分程用小買にも相成候

  外酢醤油並時節之青物宿より調用

 

    花巻より鉛へ相対頼ニ付人馬右之通

一 壱のし 駕籠夫三人 参候節ハ其上酒遣候 迎ニ参

  候節ハ飯並酒為呑候

一 六百文 本馬一疋分前分ニ〆二疋ニテ参し候ニ付一疋ハ三百

五拾文一疋は弐百五十文〆右之通鉛ニテ帰し候へは宿ニテ運送

  物共三百文ツツの由


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