第2 平成20年度分

2の1 花巻城代日誌(一部)その2

A テキスト解説

使用テキストについて

 


 花巻城代日誌

 

 原本は岩手県立図書館所蔵

コピーは花巻市立図書館にもある(今回は花巻市立図書館のコピーを使った)

        

南部藩花巻城代日誌解題 

 

 (花巻市史(資料編 花巻城代日誌 第一巻―第六巻 花巻市教育委員会)の解題として田中喜多美が書いたものの抜粋。)

 

文政三年から天保九年まで・・事実は安政四年までの四十年近い記録である。

中略

 

各種資料を分類整理して、一定の方針で浄書し仕上げたものと解される。花巻城内勤務の御物書頭以下数人の御物書の手によって浄書されたものらしい。

以下略

 

  今回のテキスト部分に関する解説

 

い 人馬賃銭割増に関して

 1 壱駄とは40貫の荷物を言う

 2 軽尻(からしり)は本荷(壱駄)の半分の量

   料金は壱駄の3分の2

 3 一般的に料金(賃銭)は壱駄一里40文程度(仙台藩歴史用語辞典)

 

ろ 時疫に関して

1 肘後備急方 葛洪(東晋 西暦341年歿)が著した実用的方薬集 

2 孫真人(孫思襞) 唐代の中国の医学者・千金方の著者

 3 農政全書 明代の学者徐光啓の農書

4 本草綱目 明代の李時珍の書いた薬学書 

 5 千金方  唐代に孫思襞が編纂した医書

 6 衛生易簡 明の医学書

 7 夷堅志  南宋の洪邁が編纂した書

B 本文

   花巻城代日誌(一部抜粋)

 

 第五巻「被 仰出御沙汰向」から

 

  御高札

天保六年                    (西暦1835年)

 人馬賃銭割増

 

一 筆致啓上候然は鬼柳宿より野辺地宿迄駅々困窮

  ニ付

  公儀へ被仰上此度別紙之通人馬賃銭割増被

  仰出候付右被 仰出書壱通差越申候依之御高札場へ

為御懸可被成候尤割増之儀は御高札相懸候日より

可請取旨駅役之者へ可被仰渡候外別紙之通被

仰出候間例之趣を以可被仰渡候前書

 

公儀被仰出書共ニ弐通差越申候右得御意候 以上

十一月四日  大矢勇太       (目付)

 

米田 武兵 様              (花巻城代)

 

  此度鬼柳宿より野辺地宿迄困窮ニ付人馬賃銭

  割増左之通可請取旨申渡也

 

   当未ノ十月より子九月迄    鬼柳宿より  (天保11年西暦1840年まで)

   中五ヶ年之間人馬賃銭     藤嶋宿迄

   弐割増

 

   同断弐割五分増        七戸宿より

                  野辺地宿迄

 

  右之通被 仰立従

  公儀被 仰出候間此旨相心得旅行之節非分之義

  無之様人馬賃銭相払可罷通旨被 仰出

   十一月

 

  近年駅場ニ寄付他旅行之者へ難渋いたし

  人馬継方及遅滞酒代をねたり或は荷物麁末ニ

  取扱紛失等致候義も有之哉ニ相聞得甚不埒之至候

  譬相対雇之人馬たり共賃銭不都合之義無之様

  可致候此旨違背仕候もの於有之は急度無調法

  可被 仰付候条駅役之者は勿論其向々へ熟と

  可申含旨被 仰出

     十一月

 

   定

             花巻一日市町宿

   当未十月より来ル子年九月迄五ヶ年之間駄賃并

   人足賃銭弐割増也

 

     石鳥谷町へ        

    荷物壱駄    百三拾壱文

    乗掛荷人共   同断

    軽尻馬壱疋   八拾五文

    人足壱人    六拾四文

 

     南鬼柳へ

荷物壱駄    百八拾五文

乗掛荷人共   同断

軽尻馬壱疋   百弐拾五文

人足壱人    九拾壱文

 

  右之通可取也若於相背は可為曲事もの也

    天保六未年十月

            奉行             (御町奉行)

 

  右此度従

  公儀被 仰出候間堅可相守候仍執達如件

 

                 花輪 栄       (家老)

                 奥瀬 内蔵

                 安宅 中務

                 毛馬内大隅

                 毛馬内典膳

                 八戸上総

 

   定

          花巻四日町宿

   当未十月より来ル子年九月迄五ヶ年之間駄賃并

   人足賃銭弐割増也

 

 石鳥谷町へ

    荷物壱駄    百三拾壱文

    乗掛荷人共   同断

    軽尻馬壱疋   八拾五文

    人足壱人    六拾四文

 

     南鬼柳へ

荷物壱駄    百八拾五文

乗掛荷人共   同断

軽尻馬壱疋   百弐拾五文

人足壱人    九拾壱文

  文面前同断

 

  定

         花巻川口町宿

  文面前同断

   石鳥谷町へ          (3里11町)

      荷物壱駄    百四拾六文

      乗掛荷人共   同断

      軽尻馬壱疋   九拾五文

      人足壱人    七拾壱文

 

       南鬼柳へ           (3里23町)

荷物壱駄    百六拾七文

乗掛荷人共   同断

軽尻馬壱疋   百拾三文

人足壱人    八拾弐文

 

 文面前同断

 

B 十五巻「寺社町」から

 

  文政九年             (西暦1826年)

   観音祭礼問合

 

一 筆啓上仕候然は此元観音祭礼来月十七日より十九日迄三日

  前々より祭礼被仰付来候処先達て御沙汰有之十七日晩より

  十八日迄十八日晩より十九日迄御日柄ニ付音曲遊山ヶ間敷義遠慮

  可仕旨被仰出候得共在々小祭と違前々より被 仰付来候観音

  祭礼殊ニ当年斗之遠慮ニも無之事ニ候間前々之通三日之

  祭礼被仰付候ても苦ヶ間敷被存候得共前文之趣寺社御奉行へ

  御懸合被仰遣候様致度候若寺社御奉行限ニて不相済伺ニ相成候

  筋ニも御座候ハハ直々御伺否被仰遣候様致度候此段御内々御問合

  可得貴意如斯御座候以上

      七月十七日   中野舎人    (城代)

                   

    玉山直人様             (中野の前任城代・当時の役職不明)

 

  御紙面之趣致承知候即本堂右内へ談合申候神事

  之儀音曲遊興と申ニ無之候間御祭礼不苦事ニ御座候尤

  御祥月ニ御座候得は神事を延し申候旨挨拶ニ御座候以上

  

    七月十九日

 

G 六巻「被仰出御沙汰向」 から

 

  天保八年六月十八日    (西暦1837年)

   時疫流行ニ付薬方従

  公儀 被仰出

 

一 筆致啓上候然は別紙之通此度従

  公儀被 仰出候間則被 仰出書壱通差越申候

  例之趣を以御取計可被成候右得御意候 以上

 

    六月十日   安村順左衛門    (目付)

 

    切田多仲様             (城代)

 

  時疫流行候節此薬を用ひて

  其煩をのかるるべし

 

一 時疫には大つぶなる黒大豆を能いりて壱合

  かんそう壱匁水ニてせんし出し時々呑てよし

一 時疫には茗荷の根と葉をつきくたき汁を

  取多く呑てよし

   右 肘後備急方に出る

 

一 時疫には牛蒡をつきくたき汁をしほり

  茶碗半分ツツ二度飲其上桑の葉を一握程

  火にて能あぶり黄色に成りたる時茶碗に

  水四盃入二盃にせんして一度飲て汗をかき

  てよし若桑の葉なくハ枝ニてもよし

   右 孫真人食忌に出る

 

一 時疫にてねつ殊の外つよくきちかいのことく

  さわきてくるしむには芭蕉の根をつきくたき

  汁をしほりて飲てよし

   右 肘後備急方出る

 

    一切の食物毒に当り又色々の草木きのこ

    魚鳥獣なと喰煩に用ひて其死を

    のかるへし

一 一切の食物の毒に当りくるしむにはいつたる

  塩をなめ又はぬるき湯にかきたて飲てよし

  但草木の葉を喰て毒にあたりたるはいよいよ

  よし

   右 農政全書に出る

 

一 一切の食物の毒ニ当りてむねくるしく腹張り

  痛には苦参を水にてよくせんし飲食を     (くじん)

  吐いたしてよし

   右 同断

一 一切の食物ニ当りくるしむに大麦の粉をこふ

  はしくいりてさゆにて度々飲てよし

   右 本草綱目に出る

 

一 一切の食物に当られて口鼻より血出て

  もたへくるしむニはねきをきさみて壱合水ニて

  せんしひやしおきて幾度も飲べし血出

  やむまて用ひてよし

   右 衛生易簡ニ出る

 

一 一切の食物の毒に当り煩に大つぶなる黒大豆

  を水にてせんし幾度も用ひてよし魚ニ当り

  たるはいよいよよし

一 一切の食物毒に当り煩ニ赤小豆の黒焼を

  粉にしてはまくり貝に一ツ程ツツ水にて用ゆ

  べし獣の毒に当りたるにはいよいよよし

   右 千金方出る

 

一 菌を喰当られたるに忍冬の茎葉とも

  生にてかみ汁を呑てよし

   右 夷堅志に出る

 

  右之薬方凶年の節辺土のもの雑喰の毒

  に当り又凶年の後必疫病流行之事あり

  其為簡便方をえらむべき旨被 仰付諸書

  之内より致吟味出候也

    享保十八年癸丑年十二月        (西暦1733年)

                望月 三英

                丹羽 正伯

     (このテキストでは「望川」と読めるが正しい名前「望月」にした。

      両名とも「吉宗」治世時の著名な典医)

  

右は享保十八年癸丑年飢饉の後時疫流行致候處

町奉行所へ板行被 仰付御料所村々へ被下候写    (はんこう)

右は当時諸国村々疫病流行いたし又は軽き

もの共雑食の毒に当り相煩致難儀候趣相聞

天明四辰年御薬方為御救相触候処年久敷事故  (西暦1784年)

村々ニて致遺失候義とも可有之候付此度為御救右

之写し猶又村々へ領主地頭より可被相触候

 

右之通可被相触候

   四月

 

  右之通此度従

  公儀被 仰出

   六月

    御町奉行方ニて取計候事



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