増補行程記
リスト1の5 福島県
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増045境明神 | 増046皮篭 | 増047白河 | 増048根田 | 増049太田川 |
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増050踏瀬 | 増051矢吹 | 増052笠石 | 増053須賀川 | 増054森宿 |
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増055笹川 | 増056小原田 | 増057福原 | 増058日和田 | 増059高倉 |
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増060本宮 | 増061杉田 | 増062二本松 | 増063八軒茶屋 | 増064吉倉 |
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増065淺川 | 増066清水町(根子) | 増067方木田 | 増068いからべ | 増069鎌田 |
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増070成田 | 増071桑折 | 増072滝川 | 増073貝田 |
このページに掲載のすべてに共通ですが、上に載せた映像はページの容量の関係で「サムネイル」形式の縮小イメージです。実画像は全て手元にありますのでご希望の方はメールください。勿論営利とか出版を目的とされる方以外は無料です。なお限られた枚数ですが画像クリップによる実画像の一部を下の表にも入れておきました。mail:susumu3@michinoku.ne.jp
全体 番号 |
宿場番号 | 一里塚 番号 |
名称 | 原本の情報 | 松尾芭蕉及び菅江真澄に関すること | その他の文献による情報 | 現況 |
73 | 0 | 増045 | 境明神 | 境出口(の北)湯泉の社あり(の南)・白坂入口(まで)間有 | 「更衣の清水の近くに一里塚があったというが現在はその痕跡も認められない」(福会17頁) | ころもがえの清水が境の明神(福島側)の少し北にあったのでその周辺を写す。1里塚を示す物は無かった(13・9・16)なお蛇足であるが「福会」では16頁で陸奥側が玉津島神社で下野側が住吉神社と書いてあるが実際に見たら逆で陸奥(福島県)側が住吉神社であった | |
74 | 26 | 0 | 白坂宿 | 宿長3丁ほど・町左右曲あり | * | 宿場の面影があった(13・9・16) | |
75 | 0 | 増046 | 皮籠 | 1里段塚ともうす松なり・八幡宮・吉次宮(の北) | 「村を過ぎて500米・・に一里塚があり・・改修工事により塚は全く消滅」(福会18頁) | 新白河病院前に塚があったが沼を埋めるためにその土を持っていったと近所の人が教えてくれた。その往時塚があったという病院入口周辺を写す(12・11・4)・この周辺の地名は一里段とのこと・近所に「吉次の墓」はあった | |
76 | 0 | 増047 | 白河 | 天神町1里塚ありとす・不見・東蔵寺(の南) | 芭蕉4月 | 「一番町・・この場所は「一里塚が有るべき地と言い伝う」とあるので、文化年間のころには塚は隠滅して茶屋の下になってしまったのであろう」(福会19頁) | 近所の人に聞いても判らないので取り敢えずバス停「天神町」を写す(12・11・4)・一番町という隣接の町も写す(13・9・16) |
77 | 27 | 0 | 白河宿 | ||||
78 | 28 | 0 | 根田宿 | ||||
79 | 0 | 増048 | 根田 | 高橋(の北)・紫石(の南) | 「新小萱の北に折れた道の左右に榎木の一里塚が有ったというが今は位置も不明。根田と萱根の両村は現在白河市大字萱根となっている」(福会20頁) | 手がかりが無いので取り敢えず萱根の地名の入った横断橋を写す(13・9・16)地図では高橋川の北になっている | |
80 | 29 | 0 | 小田川宿 | 天台報釈寺(の北)町2丁余 | * | 地図では宝積院という寺がある | |
81 | 0 | 増049 | 太田川 | (塚の絵あり)(そこから)この間8丁余・太田川入口・町曲り有・八マン(の北) | 「宿(太田川)の入口に一里塚があったと言うが詳細は不明である。入口左手上に太田山成願寺あり」(福会37頁) | 近所の人に聞いたら「代々庄やを勤めている人の敷地の前にあったが、今は塀の中にある」といって案内していただいた石の標柱を取り敢えず写す(13・9・15)この標柱は「福会37頁」に言われている「川崎村道路元標か?」・他に成願寺も写す | |
82 | 30 | 0 | 太田川宿 | ||||
83 | 31 | 0 | 踏瀬宿 | ||||
84 | 0 | 増050 | 踏瀬 | 踏瀬出口(の北)・此の間長し | * | 踏瀬の集落にいったら太田川から4キロ以上はるかに超えたような気がしたので少し戻り、取り敢えず矢吹町上水道配水地という看板を写す(13・9・16)・蛇足であるが原本の記載では宿が「太田川ー踏瀬ー岩崎村小宿ー大和久」の順になっているが最近の地図(昭文社県別マップル福島県)では「太田川ー岩崎ー踏瀬ー大和久」になっている、いつかの時期に原本の図面が前後したのではないかと思われる。原本図137から図140まで参照されたい | |
85 | 32 | 0 | 大和久宿 | 引込山王寺 | * | * | |
86 | 33 | 0 | 中畠新田宿 | 宿長さ2丁ほど | * | * | |
87 | 34 | 0 | 矢吹宿 | ||||
88 | 0 | 増051 | 矢吹 | 矢吹出口(の北) | 「宿の北はずれと考えられる所に石の地蔵堂がありその近くに有ったと云うがその影なし」(福会35頁) | 矢吹町北町に確かに立派な石の地蔵があった。しかしその所在地の並びの住家の人に1里塚について聞いたが知らないとのことだった。取り敢えず地蔵様を写す(13・9・15) | |
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89 | 35 | 0 | 久来石宿 | 宿長さ1丁半程 | * | 規模は小さいが宿場の面影あり(13・9・16) | |
90 | 36 | 0 | 笠石宿 | ||||
91 | 0 | 増052 | 笠石 | 天台長明寺(の北)・笠石(の中)・長さ2丁ほど | 「笠地蔵がある・この近くに有って良いはずだがかなり古い時代に無くなったと思われる」(福会48頁) | 鏡石の町の中の交差点の近くに「笠石」「笠地蔵」と書いてあるお堂があった。そこを写すが1里塚との関連は不明であった(13・9・15) | |
92 | 0 | 増053 | 須賀川 | 一方木なし・鏡沼出口(の北)石碑(の南 | 芭蕉4月22日 | 「江戸日本橋から59番にあたる」(福会49頁) | 国指定史跡・昭和11年9月3日.・須賀川市一里坦及び高久田境の4号線の近くに2つの塚と石碑、案内看板があった。蒲生沢と言うバス停の近く(12・10・8写す) |
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93 | 37 | 0 | 須賀川宿 | ||||
94 | 0 | 増054 | 森宿 | 法蓮寺(の北)・(北に向かい)此の間長し(の後)庚申塚・竜昌寺(の南) | 「白石坂の上り口に一里塚が有ったが今は失われて土壇のみが残り石塔群がその傍らにある」(福会52頁) | 須賀川市森宿の新しい収宅団地(横見根団地)の中に1里塚跡を示す石碑と看板があった。白石坂というバス停が近い(12・10・8写す・写真下) | |
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95 | 0 | 増055 | 笹川 | 天昌寺 | 笹川村に入り500米ほどで街道西側に一里塚跡がある(福会52頁) | 郡山市安積町笹川の天性寺近くの踏みきりの脇に1里塚跡を示す看板が有った。(12・10・8写す)なお原本では「天昌寺」と書かれているが、ご住職様から、正しくは「天性寺」とご指摘をうけた。 | |
96 | 38 | 0 | 笹川宿 | ||||
98 | 40 | 0 | 小原田宿 | ||||
99 | 0 | 増056 | 小原田 | 石碑あり故事なし・小原田出口(の北) | 五十嵐材木店付近に一里塚があった(福会66頁) | 郡山市小原田1丁目に材木店の看板のある家は有ったが家人が留守なので看板だけ写す(12・10・8写真下) | |
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100 | 41 | 0 | 郡山宿 | 宿長し | 芭蕉4月29日 | ||
101 | 0 | 増057 | 福原 | 福原入口(の南)・(かたわらに)御霊大明神 | 豊景神社道向かいは字一里壇、両側に一里塚があった。史蹟一里坦址の石碑あり(福会66頁) | 郡山市富久山町福原の富久山郵便局と交番の間に1里塚跡を示す石碑があった(12・10・8写す) | |
102 | 42 | 0 | 福原宿 | ||||
103 | 43 | 0 | 日和田宿 | ||||
104 | 0 | 増058 | 日和田 | 日和田出口(の北)・横もり坂(の南) | 芭蕉4月 | 安積山付近に一里塚があったが確認できない(福会67頁) | 確認出来なかったので取り敢えず郡山市日和田町の安積公園を写す(12・10・8) |
105 | 44 | 0 | 高倉宿 | ||||
106 | 0 | 増059 | 高倉 | (塚の絵あり)・五百川(の北) | 「仁井田村字東・西一里壇で一里塚があったが跡形もない」(福会67頁) | 本宮町仁井田に1里壇と言う地名はあるがそこに今は松下の工場が立地し、全く痕跡がないとのこと。とりあえず工場を写す(12・10・8) | |
107 | 45 | 0 | 本宮宿 | ||||
108 | 0 | 増060 | 本宮 | 本宮出口(の北)・(近くに)雷社有・町長し | 「大江村境の300米南にあったが確認出来ない」(福会68頁) | 町の図書館で聞いたら石雲寺の近くだと言うのでそこえ行く。その近くのタバコやさんが詳しいと言うのでそこに尋ねて聞いた。そこの主人は写真の場所には高札があったが仁井田(65高倉)から離れすぎているので1里塚ではないと思うと言われた。取り敢えずその場所を写す(13・9・16) | |
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109 | 0 | 増061 | 杉田 | 高蓮寺・薬師坂(の北)・八幡宮有(の南) | 「南杉田村薬師堂より350米ほど北の地点に一里塚があったが跡形なし」(福会68頁) | 二本松市西町の鈴木さんの家の前に4・50年前まで塚があったとのこと。その辺りを写す(12・10・8) | |
110 | 46 | 0 | 杉田宿 | ||||
111 | 0 | 増062 | 二本松(大壇) | 二本松入口の南・わうたん小宿(の北)・下り坂(の南)・石焼豆腐名物 | 芭蕉4月 | 「岳温泉道の起点付近に一里塚があったが形跡は確認できない」(福会68頁) | 近所の人に聞いてもハッキリしないので取り敢えず住民センター近くの岳温泉に通ずる旧道というところを写す(13・9・16) |
112 | 47 | 0 | 二本松宿 | ||||
113 | 0 | 増063 | 八軒茶屋 | 二本松出口(の北)・八間茶屋(の北) | * | 手がかりが無いので八軒というバス停を写す・智恵子の生家の近く(13・9・16) | |
114 | 48 | 0 | 油井宿 | 小宿 | * | * | |
115 | 49 | 0 | 二本柳宿 | 円東寺 | * | 円東寺現存(12・10・8) | |
116 | 0 | 増064 | 吉倉 | 取上出口(の北)・安達郡・信夫郡境(の南) | * | 近くの人に一里塚について尋ねたら境川の手前だと言われ、あちこち聞きながら境川橋というところにたどり着いた。近くで塚について聞いたが知らないとの事。しかし道路は旧道とのことなので取りあえず境川橋を写す。この橋は信夫郡と安達郡の境であることは間違いないようだ。(16・7・25) | |
117 | 50 | 0 | 八丁の目宿 | 宿長12丁ほど | * | * | |
118 | 0 | 増065 | 浅川 | 大川と申す橋(の北)・街道岩1つ有りいわれなし(の北) | * | 福島市松川町淺川地区のバス停金谷川と丸石のあいだにグランドハイツマンションがありその裏が旧街道になっている。そこの旧家(大槻家)の入口に数十年前まで塚があったとのこと。今は何もないので家の前面を写す(12・10・7) | |
119 | 51 | 0 | 若宮宿 | 正一位八幡宮 | * | * | |
120 | 52 | 0 | 根子町宿(清水町) | * | |||
121 | 0 | 増066 | 清水町(根子) | 下の坂(の北)・首なしちそう(の南) | 京野さんから頂いた地図によると清水町の赤根坂周辺に一里塚があることになっているので、赤根坂の鈴木さんというところに行って聞く。当該地名に3軒ほど家があるそうだが、一里塚については知らないとのこと。大分前にこの地区を4号線のバイパスが分断し地形が大分変わったようだ。鈴木家周辺を写す。(16・7・25) | ||
122 | 0 | 増067 | 伯耆田(方木田) | 荒川橋(の北)・無名用水堰(の南) | 五海道中細見記によれば「江の目」の北で「荒川土橋」の南である | 旧4号線の荒川橋の少し北にある店で一里塚について尋ねたら、偶々その場にいた客の老婦人が信夫橋の手前の土湯街道の交差点出光興産の給油所あたりに昔塚があったと聞いたことがあると教えてくれた。早速その近くに行くが何も痕跡はなかった。取りあえず交差点を写す。(16・7・4)・福島の方から以下のコメントを頂きました。(2006年11月20日)
信夫橋のところにあった碑というのは現在、福島市立第一中学校に移転されている「道標」ではないかと思いました。「左江戸街道 右山王道」と記されています。
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123 | 53 | 0 | 福嶋(宿) | 名物多し絹色々柿合羽糸の類也・当所江戸と南部の中程と承り候 | 芭蕉5月1日 | * | * |
124 | 0 | 増068 | いからべ | 福嶋出口(の北)・イカラベ村(の南) | 五海道中細見記によれば「五郎内」「荒谷」と「いからべ」の間に「1里塚」が有る事になっている | 五十辺(いからべ)地区の村上弘さんという方に尋ねたがこの地区の八島郵便局とキクタ酒屋さんのあたりが一里壇という地名だったそうだ。堀もありそれが字境だったかもしれない。しかし1里塚に付いては具体的に知らない、とのこと。他に手がかりが無いので郵便局と酒屋さんを写す(13・7・21) | |
125 | 0 | 増069 | 鎌田 | 1里塚まで3町程・丸子川(の北)ハタ川(の南) | 瀬の上村の入口に字一里塚の地名があり「地籍図」でもその位置が確認できる(福会108頁)・「空から見た私たちのまち」(発行福島市)の35頁・上空からの写真であるが、それに「一里塚跡」とある。 | 左の写真を手がかりに訪ねた。確かに一里塚という字名があった。そこに長く住んでいるという「菅野」さんに、一里塚について聞いてみたが知らないとの事。「にいつまクリニック」から北の数軒が当該字名に該当するとのこと。その周辺を写す。(16・7・3) | |
126 | 54 | 0 | 瀬の上宿 | 町4丁程・宿中板はし有 | * | ||
127 | 0 | 増070 | 成田 | (塚の絵あり)土橋長さ7間ほど(の南)(土橋の近くに庚申石碑) | 伊達町と桑折町との境界をなす潤野川を越え桑折に至り坂を登ったところに一里壇の地名が残っている。往時の一里塚の跡地である。一里塚を北に向かった台地の西手には、曙ブレーキ・・等の工場群が立並ぶ・・(福会112頁) | 県道国見福島線(旧奥州街道)の桑折町と伊達町との境の近くの赤坂という交差点の少し北にキッコウゲンという醤油屋がありその向かいの空き地が一里壇という地名とのこと。しかし近所の人に聞いても一里塚に付いては知らないとのこと。空き地と醤油屋を写す(13・7・21) | |
128 | 55 | 0 | 桑折宿 | 宿の面影があった | |||
129 | 0 | 増071 | 桑折 | 昔伊達輝宗の館跡(の近く)八幡橋(の南) | 芭蕉5月 | 「半沢光夫の福島発・歴史地図」の11伊達郡西根郷のフィールドワーク地図によると「こおり」駅の裏側に「旧街道一里塚跡」とかかれている。 | 左の資料に従い桑折駅前の旭屋と言う酒屋さんに聞いたが知らないとのこと。やむおえず駅舎を写す。(16・7・3) |
130 | 56 | 0 | 藤田宿 | 文治5年此処にて泰衡兄弟討死の処なりと | * | 宿の面影があった | |
131 | 0 | 増072 | 滝川 | 白山(神社の北)・滝川土橋(の南) | * | 何も手がかりが無いのでバス停を写す(13・7・21) | |
132 | 57 | 0 | 貝田宿 | 宿の面影が残っている | |||
133 | 0 | 増073 | 貝田 | 大善寺(の北)・小社有(の北) | 最禅寺から東に数百米も行くと一里塚があったが今はない。近くの「下紐の石」が名残か(福会119頁) | 最禅寺はあった。その近所で農作業をしている老人に一里塚について聞いたが何も知らないとのこと。近くに奥州街道の跡を示す標識があった。鉄道と高速道路が輻輳しており、その工事の関係で無くなったのかもしれない。宿場の面影は良く残っていた。寺の案内看板等を写す(13・7・21) |
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1 花巻このごろ
増補行程記(目次)
2 増補行程記(はじめに)
3 増補行程記(リスト1の1)東京都内
4 増補行程記(リスト1の2)埼玉県内
5 増補行程記(リスト1の3)茨城県内
6 増補行程記(リスト1の4)栃木県内
7 増補行程記(リスト1の5)福島県内
8 増補行程記(リスト1の6)宮城県内
9 増補行程記(リスト1の7)岩手県内
10 増補行程記(リスト2)
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12
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