増補行程記

リスト1の6 宮城県


増074矢尻(越河) 増075鳥居坂 増076白石 増077長袋 増078宮
増079金ケ瀬 増080大河原 増081舟迫 増082柴田 増083四日市場
増084岩沼 増085本郷 増086館腰 増087中田 増088長町
増089北目町 増090堤町 増091七北田 増092大沢 増093熊谷
増094富谷 増095高田 増096昌源寺前 増097駒場 増098伊賀
増099三本木北町 増100稲葉(古川) 増101休塚 増102馬篭 増103高清水
増104八壁 増105照越 増106築館 増107城生野 増0108姉歯
増109金成 増110新鹿野 増111有壁

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 詳細は以下に記載しております 

全体番号 宿場番号 一里塚番号 名称 原本の情報 松尾芭蕉及び菅江真澄に関すること その他の文献による情報 現況
134 58 0 越郷(河)宿 番処有往来荷物相改 宿場の面影が残っていた(13・7・21)
135 0 増074 矢尻(越河) 矢じりの塚と申すよし・二枚橋と申すよし(の北) 宮城県公文書館所蔵の明治43年官有地台帳によれば越河村大字平小字矢尻73番に旧一里塚が所在することになっている。これが当該一里塚か。(官有地台帳に関する情報は宮城県松島町の京野英一氏からのご教示である。以下、同様のケースがある場合があるがそれについても同氏のご教示によるものである。)・「蔵王町史資料編U」の828頁に市川家宿駅関係文書(仮題)の(5)「仙台より越河通伊達貝田町迄」が所収されているがそれ(829頁)によると「一北目町より15里塚上屋尻前有」となっている。(この資料も京野氏のご教示。以下長町まで各一里塚でこの文書を引用するが省略して単に「蔵王町史」という) 二枚橋で近所の人に聞いたが一里塚に付いては知らないとのこと(13・7・21)・京野氏の話では矢尻73番地に明治22年に建立した石の標柱が残されているとのこと。(15・9・4)・二枚橋から数百メートル北の路傍に標柱及び塚の跡地と目される個所を確認した。二枚橋でお店を経営している佐藤さんにお話を伺ったが、確かにそこは一里塚の跡だとのこと。氏が幼いころそこでは湧き水が出、水を飲んだりしたとのこと。標柱及び跡地を写す(15・9・23)
136 59 0 斉川宿 斎川はし1丁前後の流れの内より孫太郎虫と申し出るよし・其形むかでの如くあぶりて食す甚だ味よしと承候 宿場の面影が良く残っていた。検断屋敷も残っていた。(13・7・21)
137 0 増075 鳥居坂 別当大光院(の南)海道に石有・鳥居石と申すよし(の北) 「一里塚に付いては斎川付近に現存するものはなく、その場所すら明らかにするをえない。白石の付近では白石の南入口にあったというから、その里程からすれば今、鉄道と国道の交差する鳥居坂付近にあったらしい」(改訂増補奥州街道宿駅制の研究ー風間静幹83頁)・一北目町より14里塚斎川村作蔵前に有(蔵王町史829頁。) 東北本線と旧道の交差する踏みきり近くに鳥居坂というバス停があったので、近所の老婆に尋ねたが何も知らないとのこと(13・7・21)・鳥居坂と国道4号線の合流点にある駐車場の近くに住む郷土史に詳しい高橋辰男さんに伺ったが、一里塚は駐車場のトイレの場所(工事で土を盛ったので、往時はもっと低かった。)にあったとのこと。バイパス工事で消失したとのこと。現在、駐車場から横断橋を渡ったところに越河(矢尻)に在ったと同様の標柱があり、明治22年及び仙台から14里と刻まれていた。想像するに、工事の際、便宜的に現在の場所に移動したのだろう。トイレ及び標柱を写す(15・9・23)
138 0 増076 白石 白石入口(の南)塚少し間あり 芭蕉5月 「白石市の南入口、今の田町角あたりにもあった。(文政領内図)。今日ではそれらすべてが失われてしまったのは惜しむべきことである。」(白石市史1通史編20頁)・一北目町より13里塚白石町外に有(蔵王町史829頁) 田町の交差点を写す(13・7・21)・京野氏によると、田町の四つ角の魚屋さん宅が跡だと言うので、店を写す、店が休みなので家人に伺うことは出来なかった。(15・9・23)
139 60 0 白石宿
140 0 増077 長袋 新田(にいた)川(の北)子すて川(の南) 「仙台市史資料編2」付録「奥州仙台領国絵図」によれば子捨川の南にあることになっている・一北目町より12里塚長袋村北沢に有(蔵王町史829頁) 「エコミュージアム研究会せんなん」原本氏によると、交番付近ではないかとの事。(19・3・4)とりあえず長袋という地名があったので地名を示す標識を写す。一里壇地区を調べたが塚らしいものは見つけることが出来なかった。原本を良く見ると塚は子捨川と新田(にいた)川の中間よりむしろ新田川に近いように描かれているので、次回はその点注意したほうがよさそうだ。(15・9・23)
141 61 0 苅田宮宿 (近くに)苅田神社・白鳥大明神
142 0 増078 稲生のやしろ・鹿島有(の北)大文字庚申(の南) 一北目町より11里塚同村(宮村ー引用者)之内松川端小濱に有(蔵王町史829頁)・奥州仙台領国絵図(詳細は「堤町」の項参照)によれば、宮には仙台方向と蔵王方向への二つの一里塚があり、仙台方向の塚は松川の南側になっている 宮大橋の西のたもと近くの「山家」さんに伺った。こちらのお宅の地番は小浜川原1番にあたるそうだがご夫婦とも一里塚の話は聞いたことがないとのこと。とりあえず、山家邸を写す。(16・7・25)
143 0 増079 金ヶ瀬 前山がけに岩多し・えぼし石こうかい石葛篭石いろいろ名付あり・石碑有(の近く) 渡辺信夫編「宮城の研究5」(清文堂昭和58年)399頁の図9によると大高山神社の西側に一里塚があることになっている。・一北目町より10里塚金ケ瀬南屋敷に有(蔵王町史829頁)・「また金ケ瀬の神山にも一里塚の小丘があったが、今は畑になっている。」(下に引用した「写真で見る大河原町誌」79頁)とある。 柴田町の秋本好則・日下龍生両氏及び大河原町の原本和貞氏のご案内で明治22年の里程標を写すことが出来た。(16年6月6日)左に挙げた地図の一里塚の場所と近接していると思われるが一里塚跡と特定するまでには至らなかった。参考に「篭石」も写した。原本氏は郡境付近と推定された。(19・3・4)
144 62 0 金ヶ瀬宿 宿余程長し 宿場町の面影の残っている街だった(15・9・23)
145 0 増080 大河原 大川原入口・真言最勝院(の南)・当所よりたはこ出るよし承候 「大河原町字新丁より現県立柴田農学校にトロ下りする左手に一里塚と称する小丘の塚、明治40年頃まで一老松の亭々とした丘上に繁茂してあった。心無き人に切り倒され今は僅かに塚名のみ残っている。往昔一里毎に塚を建て、一里塚と呼んだ古跡である。」(柴田郡誌復刻版130頁)・一北目町より9里塚大河原村上原に有(蔵王町史828頁)・「大河原町では新町に一里塚が築かれ、その上に松が植えられていたが、明治初年に切り倒されて水田となった。戦後は埋め立てられて検察庁が建てられた。」(「写真で見る大河原町誌」79頁ー原本氏から当該個所のコピーを頂いた) 農業高校の周辺を調べたがそれらしい物が確認できなかった。近所の人に聞いても知らないとのこと、先年亡くなった鈴木先生なら知っていたかもしれないとの事だった。止むをえず高校の入口を写す(13・7・8)・検察庁周辺を上記の3名と伴に調べたが何の手がかりも見つけられなかった。(16年6月6日)
146 63 0 大川原宿
147 0 増081 舟迫 (沼部村と舟迫村の境から舟迫村に入ってじき)一里塚・(塚から宿場入口まで)この間8・9丁長し・真言大光院(の南) 「船岡団地の西側を通る県道の中頃より南に寄った地点の両側に、一本ずつ二本の杉があった。樹齢は300年以上と云われていた。この杉は一里塚代わりに植えられたのではなかろうか。・・杉は2本あったのだが、西側の1本はいつ切られたのか、明治の終り頃には杉の根株しか残ってなかった。残った杉の木は大人で漸く手回りする位もあった。・・大正13年旧1月8日・・この杉の木が天辺から火を吹き出した。」(船迫あれやこれ23・4頁)・一北目町より8里塚同所(舟迫村立石ー引用者)に有(蔵王町史828頁)・同上明治43年の官有地台帳によると「柴田郡槻木村大字舟迫小字竹の花124番」,「同小字内余川114番」及び「同小字二本杉145番」の3筆に一里塚が所在したことになっている。これらのうち「大字舟迫小字二本杉145番」及び「大字舟迫小字竹の花124番」がこの一里塚にあたるらしい。(上記の日下氏による) ジャスコのある通りの沼辺と舟迫の境界杭から100メートル程舟迫に入ったあたりに一里塚があったのではないかと日下氏が説明してくれた。残念ながら全く痕跡は無い。その辺の歩道を写す。(16年6月6日)竹の花地区はそこの北側とのこと。
148 64 0 舟迫宿
149 0 増082 柴田 一方木なし・白石川直近し・水門有(の北) 「船迫から槻木まで松並木がつづく。やがて一対の塚がある。前述の土平堰のやや上流である。川の方の塚には杉の木があるが、丘陵側の塚には木が無くなっている。」(柴田町史通史Tー1008・9頁・・ただしこの記述は増補行程記をもとにしたもの)・一北目町より7里塚同所(舟迫村 莵田ー引用者)に有(蔵王町史828頁)・上の舟迫で言及した官有地台帳の3筆の内「柴田郡槻木村大字舟迫小字内余川114番」がこの一里塚の所在地と思われる。 日下氏もここの一里塚については現在のところ手掛かりがないとのこと。取り敢えず内余川地区の東の土平地区にある石標を写す。奥州街道と彫ってあった。(16年6月6日)後日秋本氏から連絡があり、舟迫と四日市場の両一里塚からの距離から推定してこの石標のあたりに柴田の一里塚があったのではないかのことだった。(16・6・16)
150 65 0 槻木(入間野)宿 増補行程記では槻木宿だが最近の宮城県の資料では入間野宿となっている(たとえば「仙台藩歴史事典」250頁)
151 0 増083 四日市場 1里塚杉と松なり・槻木出口(の北) 「宿駅(槻木・・引用者)を出て、四日市場村に入ると、やがて三つ目の一里塚がある。右手の塚には杉、左手の塚には松ノ木があった。」(柴田町通史Tー1011頁・・ここも増補行程記をもとにしたもの)・前掲の明治43年の宮城県官有地台帳には「柴田郡槻木村大字四日市場小字西台前38番」及び「同小字生次40番」に旧一里塚が所在したことになっている。それが当該一里塚か。(日下氏から当該地番の地籍図のコピーを頂く。)・一北目町より6里塚同所(四日市場村中屋敷前ー引用者)に有(蔵王町史828頁) 日下氏のご尊父の実家が一里塚の近くにあったそうだ。塚はバイパス工事で全く取り壊されたそうだ。往時塚があったあたりを教えて頂き、写す。次いで日下氏の案内で塚の周辺にあった石碑等が移設された場所に行って見た、塚があった場所から300メートルほど離れているだろうか。それを下に示す。(16年6月6日)
152 0 増084 岩沼 五間堀申す川(の南) 芭蕉5月 一北目町より5里塚右同所(岩沼町中町より11町程南小橋と云所ー引用者)に有(蔵王町史828頁)・同上明治43年の官有地台帳では「名取郡岩沼町大字岩沼小字西六角53番」に一里塚が在ったことになっている。これがそれに該当するか。 19年3月4日「エコミュージアムせんなん」が主催で仙台で越河から本郷までの一里塚の調査結果発表(原本氏)が行われた。そのとき岩沼については東武(とうたけ)神社が推定できる場所として紹介された。偶々13年にその神社を撮影していたのでそれにかえた。(19・3・5)
153 66 0 岩沼宿
154 0 増085 本郷 本郷二間橋(の南)用水堰土橋(の北) 一北目町より4里之塚同所(本郷村之内二間橋ー引用者)40間程南に有(蔵王町史828頁)・ 手がかりが無いので道路の跨道橋の地名を表示(本郷)している所を写す(13・7・20)原本氏は「梶橋」と推定している。(19・3・4)
155 0 増086 館腰 塚よりこの(増田入口?)間2町余・石塔地蔵あり・妙寛寺(の北) 一北目町より3里塚同所(名取飯野坂村ー引用者)薬師堂前に有(蔵王町史828頁)・同上明治43年の官有地台帳では「名取郡館腰村大字飯野坂小字山下35番」に一里塚があったことに成っている。それがこれに該当するか。 旧道に沿い明観寺というお寺があったので尋ねると、近所に「一里塚」という屋号の家「桑島さん」があるというのでそこへ行ってみた。残念ながら留守だった。隣の家に聞いてみたら確かのそこは「一里塚」という屋号だそうだ。しかし一里つかについては知らないとの事だった。寺の案内看板等を写す。(13・7・20)
156 67 0 増田宿 宿長3丁余 宿場の面影があった(13・7・20)
157 0 増087 中田 米田村天神(の北)・中田入口(の南) 一仙台北目町より2里之塚同町(中田町ー引用者)出放に有(蔵王町史828頁)・同上明治43年の官有地台帳では「名取郡中田村大字前田小字西河内14番」同じく「小字悪土40番」に旧一里塚が所在することになっている。それが当該一里塚か。 塚は確認できなかったが天満宮はあったのでそれを写す。中田6丁目というバス停も写した。一里塚は両地点の間にあったのだろう。(13・7・8)
158 68 0 中田宿 此の宿海辺近く魚類多し・鯛一番とす 宿場の面影あり(13・7・8)
159 0 増088 長町 長町入口・馬頭かん音有(の南)・(近くに)石碑 一仙台北目町より壱里之塚長町出放南に有(蔵王町史828頁)・京野氏によると「仙台市全図」(東洋造書館発行ー大正元年ー宮城公文書館蔵)に見える「長町村字南一番地」が所在地ではないかとのこと。 確認できないのでバス停を写す(13・7・8)・京野さんから「長町」は92番目ではないかとお知らせいただいた。明治43年の文書(宮城公文書館所蔵)にあるそうだ。それに従い宮城県内の番号を訂正した。(15・8・31)
160 69 0 長町宿
161 0 増089 北目町 北目町(の北)柳町(に)制札(1里塚の記載なし) 「城下の街道の起点は正しくはすべて北目町におかれた。」(復刻仙台領国絵図56頁)・「仙台藩でもこれに従って仙台城下北目町制札場を基点として一里塚を築いた」(宮城の研究第5巻近世篇V渡辺信夫編353頁)・前に示した「蔵王町史資料編U」の828頁に市川家宿駅関係文書(仮題)の一部として(5)「仙台より越河通伊達貝田町迄」が所収されているがそれによると北目町は「お城より半里の杭柳町十次郎前有り」と書かれ、その北目を基点として各一里塚の距離及び所在地が記されている。 北目町に聖賢堂という天台のお堂がありそこの案内看板に「二十三夜さんや観音堂の愛称で親しまれているこのお堂は」・・・・・「藩専用伝馬役の町として重要な地域で芭蕉の辻とともに高札場が置かれた・・」と書いてあったが1里塚には触れていなかった、取り敢えずその看板などを写す(13・10・4)・原本の絵及び「文久2年仙台城下絵図」(特別展図録「仙台城ーしろ・まち・ひとー」93頁ー仙台市博物館発行)を良く見ると高札場らしきものが大日如来(原本のほうには菓子屋等はあるが大日堂は記載なし)とその南に見える観世音との間、北目町通りと交差したあたりにある。その観世音が今の聖賢堂と思われるので、高札場は奥州街道と北目町通の交差したあたりだったのだろう。また、同じ図録の97頁にある「明治元年現状仙台城市之図」を見るとやはり同様である。従って現在の北目町と北目町通の交差点「よろず屋酒店」前にある辻標(仙台市教育委員会作成)の周辺に制札場(一里杭)があったのだろう。
162 70 国分(宿) 芭蕉乃辻・家作江戸のごとし 芭蕉5月4日 仙台市内の一里塚が判然としない。「城下町仙台を歩く」という冊子に添付してある「歴史的町名現代重複図」を見たが奥州街道及び辻標はきれいに記載されているが一里塚には一言も触れていない。 日銀仙台支店の西側交差点の西向かいに新しい石の道標がありそれに江戸から93里と刻まれていた(13・7・5写す)・北目町との距離が短いので今後の検討が必要だ。京野さんによると北目町の一里杭(仙台の街中は塚ではなく杭をたてたとのこと)から8丁しか離れていないのでこの石の道標はおかしいとのこと。(15・8・31)
163 0 増090 堤町 (記載なし) 「仙台市史資料編2 近世T 藩政」付録の「奥州仙台領国絵図」(もともとは正保年間に作製されたものを元禄年間に転写し清書したもので現在は仙台市博物館に所蔵)を見ると仙台城と七北田の一里塚の中間に一里塚があることになっている。旧荒巻村の近くだ。京野氏の調査によるとここは塚ではなく一里杭があったそうだ。所在地は現在の表示では堤町1丁目1の1(東側)及び堤町2丁目1番地(西側)とのこと。 青葉区堤町の私設博物館「佐大ギャラリー」のと言う所を訪ねる。佐藤達夫さんというかたが所有・管理している。堤焼きの登り窯や作業場も残っている。佐藤さんに一里塚について尋ねたが、そのあたりでは一里塚の話は聞いてないという。しかしそこから北東の所、今はライオンズマンションが建ったところ(平成12年完成)には以前塚が有りかつ大きな杉があり、皆は一本杉と呼んでいたと言う。なお、この私設博物館の隣接地には去年までお為問所(おすわいところ)の建物が残っていたが老朽化したので撤去し駐車場になったとのこと。ちなみにこの場所は堤町と荒巻村の境にあたる。原本図241の「仙台出口」がこの場所と思われる。「片下り坂」の下でもあり近くに日常寺(現日浄寺)もある。お為問所では昔取引税(仲役ーすわいやく)を徴収した。仙台城下には他に原町、八幡町及び五軒茶屋にあった(仙台藩歴史用語辞典44頁仙台郷土研究会刊)・取り敢えず町名の由来を書いた看板等を写す(13・10・27)・同じく京野さんによるとここは94番とのこと。やはり調べる必要あり。(15・8・17)
165 0 増091 七北田 (塚の絵あり)七北田川(の南)常念仏堂・斬首場(の北) 「橋の手前200米の所にあったが戦後落雷焼失・東側の位置確認可」(宮会7・8頁)・明治43年の官有地台帳によれば「宮城郡七北田村大字七北田小字川添原7番の1、同小字念仏111番の1、同小字松57番の1及び同小字松59番の1」の4筆に一里塚が所在したことになっている。ここの一里塚との関連をチェックする必要あり。 近所に住む豊田さんに伺ったが去年(平成12年)マンション工事の際、木の根等完全に撤去され今はマンションの下になったとのこと。豊田さんに跡のあったマンションの前に立って頂いてその辺りを写す。マンションの名前はネオシテイ八乙女・なお豊田さんは戦後一里塚に落雷があって燃え上がったのを父親と目撃したとの事(13・6・2)
166 71 0 七北田宿 宿凹也長十丁ばかり 宿場の面影あり(13・6・2)
167 0 増092 大沢 春日大明神(の南)大懸新田(の北) 「確認出来ない」(宮会9頁) 確認出来ないので取り敢えず「大沢」と言う地名の入った道路標識を写す(13・7・20)
168 0 増093 熊谷 大曲坂(の近く)名水あり(の北)もみのき坂(の南)常光寺(の南) 「富谷村に入ってまもなく一里塚跡に享保3年の子安観音碑、茶元源内屋敷跡、清水跡、天保7年の日蓮供養碑が現存する」(宮会9頁) 4号線で仙台市から富谷町に入ってすぐ左手に「かわち」というスーパーがありその丁度国道を挟んだ向かいに清水跡を示す看板(大清水の石盥)及び復元した石盥があった。しかし一里塚に付いては何も記載が無かった。なおこれは平成元年に北から100メートル程南に移されたものだそうだ(16・9・23写す)
169 72 0 新町宿(富谷宿) 宿長5丁程・熊野宮 宿場の面影あり・本陣跡もあった(13・7・7)
170 0 増094 富谷 1里塚木なし、前坂のつかと申し候・冨や川土橋(の北) 近所の人に聞いたが不明との事なので取り敢えず富谷橋を写す。なおその橋から北に2キロほど行った民家の庭先に明治22年に建てられた道標があった。それには「距仙台元標五里」と刻まれてあった。(13・7・7)・それは古川市などにもある道標と一連のものと思われる。
171 0 増095 高田 (北に向かい)宿(吉岡)まで少し間あり・土橋(の北) 「大和町道下に東側のみ半分崩れて現存」(宮会9頁) 4号沿い(NEC工場南)に再建されたものがあった(12・4・29写真下)
172 73 0 吉岡宿 安楽院と申小寺見えたり
173 0 増096 昌源寺坂 此の塚可考・川はし(の北)正源寺(の南)正源寺坂(の北) 「昌源寺坂を登ると見える」(宮会10頁) 織田さんという方に案内していただいたが大衡村大衡の昌源寺の裏奥の廃道を500米程登った所にあったのが下の写真である(12・4・29)・京野さんよりメールあり(20・9・27)「セントラル自動車の工場用地として取り壊されます」とのこと。県がこの場所を調査したらしい。「大衡村一里塚について公開学術調査の発表会」があったとのこと。
174 0 増097 駒場 吉岡長根下り口(の北)・本誓寺(の南) 雲泉寺入口に跡が確認出来る(宮会11頁) 大衡村駒場の雲仙寺に向かって左にある銀杏が一里塚の跡を示すために植えられたものとのこと(12・4・29)
175 0 増098 伊賀 三本木長根(の南)・無名土橋(の北) 長坂の中頃に1基だけ残っている(宮会11頁) 三本木町伊賀に「伊賀一里塚」の表示柱有り(12・4・29)それに「この前後に駒場徳市と三本木北町(善並田)の一里塚があったが残っているのはこれだけだ」と書いてあった
176 74 0 三本木宿 松しま道此道より松嶋へ行
177 0 増099 三本木北町 水門あり(の南)・三本木出口(の北) *道路地図(昭文社2000年1月1版宮城県1・3道路地図)によると三本木郵便局の近くのバス停が「善並田}となっていたのでそれを写そうと行ったら「テレトラック三本木入口」と名前が変わっていた。しょうがないのでそれを写す。塚に付いては何も確認できなかった(13・5・19)
178 0 増100 稲葉(古川) 古川入口(の南)・熊の宮の杉森見えて候・名所緒絶橋 「古川宿入口の一里塚も不明」(宮会11頁)・矢尻と同様に県の公文書館で明治43年の官有地台帳を調べたら志田郡古川町大字稲葉小字千栽橋65番地と同大字稲葉小字往還西12番に旧一里塚と地目表示された土地があった。これが当該一里塚か。(15・9・17)・同時に志田郡・黒川郡の明治43年の台帳及び栗原郡の明治6年の台帳を調べたが奥州街道に関係すると思われる一里塚の地目はなかった。(同日) 古川の入口と思われる所「中里」に「熊野神社」があったのでそこを写す・秋全のいう「熊の宮」と同じかは未確認。塚は確認できなかった・(13・5・19)
179 75 0 古川宿
180 0 増101 休塚 (近くに)さよ姫の休塚・三つえと申すところ土橋3つあり *「宮会」添付の地図3によれば茂林寺の東南い一里塚があることになっている 手がかりがないので「三つ江」というバス停を写す(13・3・25)・茂林寺は近くにあった
181 76 0 荒屋宿 宿3丁ほど長し
182 0 増102 馬篭 馬込坂・の間7・8町余有りて(北に)1里塚 小野字馬篭と言う地名があり近所の人に聞いたら、その人の記憶している塚のおおよその場所を教えていただいたので、そこを写す・戦前までその辺りは松並木であったが戦時中松根油を取るために供出したとのこと、塚の形も無かった(13・5・19)
183 0 増103 高清水 木なし1里塚・高清水(町の中)・清水川(の直南)・当所名物しない沼の鮒あり 「確認出来ない」(宮会13頁) 台町(透川橋の直南)の民家を尋ねたら「昔そこの庭に松があり枯れたから切ったが、それを一里塚の名残と云われたことがある」とのことだった・橋とバス停を写す(13・5・13)
184 77 0 高清水宿 宿の面影あり
185 0 増104 八壁 矢壁坂下り口(の北)・矢壁相の小宿(の南) 「高清水町八重壁に跡が残っている」(宮会13頁) 「八重壁東」というバス停の近くで農作業をしている人に尋ねたら、「そこから北に200メートルほどにある廃屋に「福塚」といってかなり前まで塚があったが今はない」とのこと・その廃屋に行きまえの藪を写す(13・5・19)
186 0 増105 照越 此処小名はた織村と申す屋村なり少し間ありて塚有り・赤坂(の南)・はた織坂(の北) 地図で築館インターの東側あたりかと見当つけて行ってみたが舗装もしてない道で、近くの人にも聞いたが知らないとの事なので、取り敢えずその道を写す(13・5・13)
187 78 0 築館宿 宿長さ4丁ほど 宿場の面影あり(12・11・23)
188 0 増106 築舘 留場川(の直南) なにも手がかりが無いので留場橋の北にある「留場」という地名の入った信号を写す(12・11・23)
189 79 0 宮野宿 宿長さ3丁程
190 0 増107 城生野 (近くに)庚申石碑・しょうの坂(の北)・引込み正玄寺(の南) 「大仏地区に残っている」(宮会14頁) 「宮会」添付の地図5を参考に場所を探したが見つからなかった。その地図にある水準点も見つからなかった。古川国道維持事務所の管理係に聞いても不明との事だった。国道の419キロのポストがあったのでそのあたりを写す。近くに古い木の角材の標柱らしいものが有ったが字は判読できなかった(13・4・15)
191 0 増108 姉歯 此の坂十三本木長根と申すよし(の南)・沢辺川(の北) 宮会添付の地図5に「一里塚跡」と書かれている 近所の古老(姉歯さん88歳)に聞いたが一里塚のことは知らないとの事。取り敢えずバス停を写す(13・5・13)
192 80 0 沢部宿 宿長さ3丁余・引込長覚院
193 81 0 金成宿
194 0 増109 金成 神成村・夜盗坂(の南)・まかどのはし(の北) 金成町稲荷前で4号線に平行な旧道があったのでそこを写す。近くで農作業をしていた人に聞いたが一里塚のことは知らないとの事。夜盗坂及び首無し地蔵は今もあると教えてくれた(13・5・13)
195 0 増110 新鹿野 (近くに)堤・水門有・気仙道(分岐の北) 「確認できない」(宮会16頁)・金成町歴史民俗資料館の展示で「末野の新鹿野に今も1つ残っています。」とあり写真もあった。 末野・新鹿野の道沿いに僅かに塚の面影が片方だけ残っていた。傍らに町の教育委員会が案内看板を設置してあった。(平成11年1月26日付け)(12・11・23写す・下に添付)
196 0 増111 有壁 有壁入口(の南)・相の坂(の北) 有壁本陣・国指定・昭和46年5月27日・「入口の塚(仙台へ300米)は位置を確認できる」(宮会16頁) 有壁本陣の当主の佐藤さんに同家所蔵の古図により塚の跡の大体の場所を伺う。今は家の下になったそうだ。その後で、当該場所と思われる所に行き近所の佐藤たけおさん(本陣の親戚の方)に塚の跡を案内していただく・昔は杉の根があったそうだが今は完全に廃屋の下になったとのこと。そのあたりを写す(13・4・15)
197 82 0 有壁宿 宿の面影あり


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宮城県内での調査に非常にお世話になった京野英一氏のホームページ及びメールアドレスを下に示しましたので
直接お尋ねになる時など参考に願います。なおそれらを、ここに示すことはご本人もご承知です。
  http://www.malkyo.com  
http://www.malkyo.com/basyo
 info@malkyo.com