田野畑高校 踊組 10

創立50周年記念文化祭「郷土芸能フェスティバル」

10月24日、田高祭(文化祭)の特別企画として開催。

大宮神楽(田野畑村)
大宮神楽は、田野畑村の大宮神社別当で羽黒派山伏の栄福院によって伝えられた と言われる山伏神楽です。発祥や伝承経路などは不明ですが、宮古市の黒森山を 修験道場とした山伏の黒森神楽の特色を伝えているので、黒森系と言われます。
毎年正月2日頃から大宮神社または鵜鳥神社で「舞い立ちの儀」が行われ、 「霞掛け」と呼ばれる巡業の旅が始まります。約2ヶ月の巡業で、かつては正月から 春の彼岸頃までの長期巡業でした。
大宮権現を奉ずるときは「旦那場」の田野畑村内を巡り、鵜鳥権現を奉ずるときは 北は久慈市、南は釜石市までの各市町村を巡ります。 平成5年に岩手県無形民俗文化財に指定されました。
本日の踊り手は、全員田野畑高校の生徒です。
安家鹿踊・剣舞(岩泉町)
安家鹿踊は、明治末頃田野畑村菅窪の鹿踊が尾丸部峠を越えて伝わったと 言われています。終戦後衰退し30年余り途絶えていましたが、昭和56年に復活し 現在に至っています。
田野畑と同じく鹿踊と剣舞があります。本日は念仏剣舞を上演いたします。 田野畑、岩泉町のものと、似たところ、違ったところがあります。ご注目下さい。
上駒木野参差踊(雫石町、雫石高校郷土芸能委員会)
参差踊(さんさおどり)は、盛岡市、紫波郡、岩手郡を中心とした旧南部藩領の 代表的な盆踊りです。むかし三ツ石(盛岡市内)に羅刹(悪鬼)が現れて住民や旅人を 苦しめたので、困り果てた住民は三ツ石大権現に祈願しました。権現は羅刹を捕らえ、 二度と現れないしるしとして「三ツ石」に誓約の手形を押させ、北方に逃してやったと いうことです。この手形が「岩手」の起こりで、鬼が再び来なかったので「不来方」を 城の名としたとされています。
このとき、里の平安を喜んだ住民が、三ツ石の周辺をサンサ入り乱れて踊ったのが 参差踊の始まりだと伝えられています。本来の踊りは、灯火も衣装も不要でしたが、 盛岡近郊に広まるに従い、地域によって踊り・太鼓が異なってきました。
雫石町の上駒木野参差踊は、「通り」から始まり、「二拍子」「キーキーカッコ」 「よしゃれくずし」「長者の山」「田植えくずし」「礼踊り」で締めくくられますが、 このうち「よしゃれくずし」は雫石独特の踊りです。
雫石高校郷土芸能委員会は、この踊りで平成8年度の全国高等学校総合文化祭郷土芸能部門文化庁長官賞を受賞しました。
菅窪鹿踊・剣舞(田野畑村、岩泉田野畑校踊組(わが社))

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