たか が見つけた街の中の賢治さん(イギリス海岸
所詮オートフォーカスのコンパクトカメラでの撮影ですから、ね…。

  イギリス海岸、色々

2002年は顔を出してくれるでしょうか?

2001年に周辺の整備がなされ、だいぶキレイな公園、散歩道になりましたよお。ここ数年はあまり土が露出しなかったので、そろそろかな?と期待する2002年なんですよ。

1997年の秋撮影、の全景です。

 

 ご存じの方も多いでしょうが、イギリス海岸について説明を。

 海岸、という名前ですが、実際は川です。東北最長の川である北上川の流域で、花巻市内の小舟渡(こぶなと)と呼ばれる地域の中で、特定の2キロメートル程の範囲の、西側の部分を指して、賢治さんが命名された場所なのです。

 これは普段の水が多い時の姿。ただの川でしょ?これが何?って思われて仕方ないですよね。

 なぜにイギリス、なぜに海岸、なのかといいますと、地質に秘密があるのです。賢治さんは子供の頃「石っこ賢さん」と呼ばれたほど、石や地質に興味を持っていたのですが、そんな賢治さんですから、外国の地質についても詳しく勉強されていたのだと思います。

 ある時賢治さんは「ここの地質はイギリスの海辺の地質に似ている」と気づかれ、いつしか「イギリス海岸」と呼ぶようになったのです。でも、賢治さんはイギリスには行ってません。ですから、書物で得た知識に加えて、賢治さんのカンによる命名なのですが、実際に、泥岩層の時代そのものも、白亜に乾く見た目の様子も、とてもよく似ているそうですよ。イギリスに行った人から聞いた事がありますから。

  
以上は1996年の物、最近では1番水が引いた、賢治さんの生誕100祭の年です。

 左の写真の少しアングルを変えた物を花巻の観光写真コンクールの出展したら、下の方でしたが、入賞して賞状もらいました。写真で賞なんてもらったの、初めてでしたよお!これ以来、ちと写真にのめり込み気味、ですかね。

 

 賢治さんがいらした頃、北上川の流れは今と随分違う所にあり、イギリス海岸として命名された場所は、当時は河原、もしくは河原近くの広場のような存在だった筈でした。そこで賢治さんは詩作をしたりなど、様々な想いを巡らしたのではないでしょうか?

 そんな点で、私だけでは無く多くの方々(地元の人々、この場所を訪れる賢治さんファンの方々)が、このイギリス海岸を賢治さんの原点とか「聖地」として想いを込めているのです。そんな場所なのです。

 

  

1997年夏の白亜状態と秋の様子。1996年くらい水が減ってたら、スゴイのだけど…。

 水が引いていて、1日中天気が良いと、すっかり乾いて、本当に「真っ白」な状態、白亜の大地になるのです。だから、上の写真は、真夏で、いい線行っている状態な訳です。

 それに対して下の写真は秋で日差しが弱くなった所で濡れている状態です。全然色が違うのを分かっていただけるでしょう。更に夕陽に強く照らされる時には赤く染まるのです。まるでオーストラリアのエアーズロックみたいな色の変化だと思いませんか?

 

 

1997年はモノクロもチャレンジ。腕は別に、写真として重みがあるかな?と思いました。

 それにしても、1996年は本当に特別に泥岩が露出した年で、空が賢治さんの生誕100年をお祝いしてくれたのかも…なんて思ったりして。

 

 私に出来る事は、こうしてホームページなどで情報発信をする事と、時間のある限り写真に残す事、だけです。これしか無いからこそ、可能な限り続けて行くつもりです。

 そんな点では、私がこだわり始め、記録し始めたのが1996年ですから、まだまだこれからです。1998年は雨が多く、おそらく1度たりとも白亜が顔を見せた事は無いと思います。これから、冬の一時期の水枯れのタイミングを待つしか無いかな?と思いながら、チャンスを待つ日々です。

 写真が撮れましたら、随時アップしたいと思いますので、たまにご覧いただければ幸いです。

 1999年2月末現在、全く泥岩は顔を出してくれてませんです〜。う〜ん、本当に96年と97年、連続で見られた事が、とっても珍しい事だったのだと実感するのでありました。 

 1999年は結局、夏に1度かなりイイ線まで行ったのですが、私は写真に収める事はできませんでした。週末に雨になって、おしまいでした。その代わり、小田島先輩が、そのチャンスを捕らえてましたので、ご覧になってみて下さい。(リンクコーナー16番、参照ですわい。

 2000年、2001年は仕事で多忙だった事もあり、たまに見に行けた時も水がタップリでしたわい。さて、2002年は?   

 

賢治さんの小部屋への戻り道