田野畑高校 TBS 放送委員会 1995(平成7)年度後半

『日本のパン〜田野畑の炭焼きパン〜』
千代田杯第33回全国高等学校放送コンクール テレビ制作CM部門 全国大会奨励賞(全国7位)
『田野畑村のシリーズCM1995』
岩手県田野畑村による市町村活性化事業。放送委員会が制作依頼を受け、 県内民放で放送 IBC表彰、田野畑村村勢功労賞

『田野畑村なんて 知らないでしょ』

千代田杯第33回全国高等学校放送コンクール テレビ制作ドラマ・ドキュメント部門 全国大会最優秀賞、文部大臣賞、日本テレビ賞、岩手県教育委員会表彰 (はばたき賞)

平成7年度、全国高等学校総合文化祭をはじめ、多くの行事に参加した私たちには、 もうひとつ、大事な活動があった。

田野畑村の事業として、夏から秋にかけて(実際には冬まで)、岩手県内に 村のテレビCMを流すことになり、その制作を田野畑高校放送委員会が依頼されたのだ。 結局、15秒のものを4本、30秒のものを1本制作し、あわせて196回放送された。 すべて県内での放送だったが、7・8月のCMは、前にも書いたように、新潟での 全国高等学校総合文化祭の交流会でも披露した。この経験を1・2年生が ドキュメントにしたのが『田野畑村なんて知らないでしょ』である。


村自慢電波PR作戦事業によるテレビCM1995

『遠い田野畑』(7月、15秒)

北山崎をバックに県内各地・首都圏からの時間距離を表現 「…遠い旅ほどきっといい旅。お待ちしてます、田野畑村」  IBCで38回放送

『田野畑のなつやすみ』(8月、15秒)

弁天浜を舞台に、夏の子どもを表現 「あなたの夏は、どんな夏? …みんなで来てね、田野畑村」  IBCで67回放送

『田野畑で日本一』(9月、30秒)

田野畑高校の全国高総文祭での快挙をテーマに村自慢 「…あなたも日本一。田野畑で」 IBCで18回放送

『好きです田野畑』(11月、15秒)

郷土愛を高校生・村長が告白 「…きっとあなたも好きになる。私のふるさと、田野畑村」  IBCで30回放送

『冬こそ田野畑へ』(2月、15秒)

冬の北山崎へ向かいながら 「…冬こそ遠くへ、田野畑村」  IBC・TVI・MITで43回放送


この番組については、台本を紹介する。CM作りとその反響について、番組の中で すべて描こうとし、描くことができた。
そして、これも日本一の賞を受賞した。


千代田杯第33回全国高等学校放送コンクール テレビ制作ドラマ・ドキュメント部門参加作品
『田野畑村なんて知らないでしょ』

(「8月7日 新潟県弥彦村 全国高総文祭放送部門大会」) 「みなさんこんにちは。岩手県の田野畑村からやってきた、岩泉高校田野畑校の ゆきえと、」(BGMフェードイン)「えりこです」「私たちの田野畑高校は、岩手県の 田野畑村にありますが、田野畑村なんて、誰も知らないでしょ」 「ご存じの方は、このように手を振って下さい」「ちょっと誰も知らないよ」 「はい、誰も知りませんね。そこで私たちは、田野畑村のテレビコマーシャルを つくって、まずは、岩手県内で放送することにしました。それでは、VTRスタート! 」

(北山崎に重ねてタイトル「田野畑村なんて 知らないでしょ TBS 田野畑高校放送委員会制作」) (鵜の巣断崖・思惟の大橋) ナレーション「陸中海岸国立公園の北部に位置する、岩手県田野畑村。しかし 田野畑村には、大きな弱点があった。それは、」 (たのはた牛乳・アイスに重ねて「田野畑の弱点」) 「田野畑は、遠い、ということである」(テロップ「田野畑は遠い」) (東京からの地図)

「東京から、岩手県の盛岡まで、新幹線で2時間45分。しかし、同じ県内なのに 田野畑まで 3時間は、たっぷりかかってしまう」(観光客数推移のグラフ) 「このため、10年前には120万人を数えた田野畑村への観光客も、去年は 83万人まで減ってしまった。そこで」(BGMフェードアウト)

(田野畑村役場 和山敏治さん)「田野畑村は、観光産業に力をいれています。 北山崎とか、鵜の巣断崖とか、素晴らしい景観を生かした観光産業と言うことですが、 PRもまた、大切と考えております。いろいろな方法がありますが、 テレビのコマーシャルが最も効果的と考え、テレビを、使うことにしました」(契約書)

「村自慢電波PR作戦事業と名付けられたこのプロジェクト、コマーシャル制作を 依頼されたのが、僕たち、田野畑高の放送委員会だった」 (「シリアスなディレクター よしのぶ」)「プロのCMって、ビデオじゃなくて フィルムだし、セットに手間がかかるし、コンピュータで画像処理したり、俺らじゃ 無理でしょ」(「顧問 菊地先生」)「菊地先生、どうしてホイホイと 引き受けちゃったんですか」「何が? 」「え、CMの件」「ああ、だってCM好きでしょ、 大丈夫、なんとかなるって。がんばってね、じゃね」 (「田野畑高のマスコット たけし」)「アイディアとか、浮かばなくて、大変です。 勉強もちょっとダメで、アイディアも出ない。ああ」 (テロップ「困った アイディアが出ない」)

(菊善商店と犬・乳牛)「7月から11月まで、毎月1本、コマーシャル作りが始まった」 (「コマーシャル隊長 ゆきえ」)3、2、…「クルマで、三陸鉄道で、観光船で、 あ る い て」「すいません、もう一回お願いします」(「いつも怪しい ひろし」)

(「放送委員長 えりこ」)「うちの学校には、スタジオとか無いので、夜7時とか、 とにかく誰もいなくなってからじゃないとできない」 (テロップ「困った 昼間は録音できない」)(「絶対休まない皆勤男 かずみ」) 「天気の良い日、授業でぬけられなくて、休みががつぶれて一番つらかったですよ」 (テロップ「困った 平日は撮影できない」)

(「7月19日 初めての放送」)「7月19日、僕らのコマーシャル記念日」 (IBC高校生カラオケ大会のCM)(CM『遠い田野畑』)

「テレビから実際に自分の声が流れてきて、どっひぇーという気分でした」 (テロップ「どっひぇー」)

(「8月のテーマは、なつやすみ」)「8月には二作目が登場」 (CM『田野畑の夏休み』)

(「大都会 盛岡市」)「さて、このコマーシャル、県内での評判は? 」 (「突撃インタビューの しょーご」)(「盛岡市大通商店街」) 「あの、ちょっといいですか、1分だけなので、お願いします。 田野畑村って知ってますか? 」「いえ、知らないです」「名前だけ」 「じゃ、VTRをちょっと見てもらえますか」(CM『遠い田野畑』)「あ、これ見た」 (「田野畑村って知ってますか」) 「沿岸ですよね、あと、牛乳とかアイスクリームとか…」 「いやあ、ちょっと私知らないんですけど、何が有名なんですか」 「田野畑村って知ってますか」 「知ってますけど。田野畑村の人なんですか?  アハハハハハ…」 (テロップ「笑われてしまった」) 「田野畑村、知ってますよ。テレビで少しやりましたでしょ」 (テロップ「テレビのCM! 」)「あと、村長さんもユニークな人で (「ユニークな? 早野仙平村長」)」 「コマーシャルをつくったんですけど…」 「あ、これ見たんだけど、いいなあって思ったんだけど、私は、 最後に出てくる子どもたちの後ろ姿があるでしょ、あれね、 あたしは好きじゃなかったの。あれがなきゃいいけどなって、思ったんだけど…」 (テロップ「厳しいご意見ありがとうございます」)(田野畑村に来てみませんか) 「そうですね、雫石にばっかりいるからねえ、いってみたいけど、 足がなきゃ行けないもんねえ」

(VTRをのぞき込む通行人) 「盛岡市でインタビューしたところ、100人中32人が、田野畑村を知らない、と 答えた。しかし、僕たちのCMは、83人が見たことがある、と言ってくれた」

(「田野畑村 北山崎」)「ところで、田野畑への観光客は、増えたのだろうか」 (「田野畑村 北山崎の売店」)(「CMの効果は? 」) 「効果、どうでしょねえ、ちょっとわかんないですね。でも前の年に比べて 年々減ってるんじゃないの? 」「ガーン、しかし」

(北山崎「どちらから田野畑へ? 」)「どちらからいらっしゃいましたか? 」 「名古屋です」(テロップ「名古屋から」) 「どうして北山崎にいらっしゃったんですか? 」 「うーん、海がきれいそうだったから」「山形から」 (テロップ「山形から」)「今日は、横浜の、緑区の…」(テロップ「横浜から」) 「北海道の、函館の方から…」(テロップ「函館から」)「はい、同じです」 「今日の北山崎は、どうでしたか? 」「海の青さに、びっくりしました」 「絵のような景色でした」 (テロップ「わかったこと 田野畑には県外の(女性の)お客さんが多い」)

(「次の作戦」) 「そこで、ぼくたちは次の作戦を考えた」「このCMを、全国ネットで流す」

(「田野畑村役場 和山敏治さん」) 「まあ、経費の面が大変なもんですから、そうすればいいとは思うんですが、ま スポンサーが見つかれば、考えてみたいと思っています」(「無理らしい」) 「でもぼくたちには、さらに次の作戦がある」(BGMカットイン)

「全国ネットで15秒のCMを流すのには、一回およそ1000万円必要だ。でも、 都道府県単位なら、5万円から50万円で、OK。あなたの力で、僕たちの CMを流してみませんか」(北山崎)「お申し込みは、今すぐ。電話 0194-34-2052、田野畑高放送委員会まで。お電話、お待ちしています」 (BGMカットアウト)

(CM『好きです田野畑』)(テロップ「本当にお待ちしています TBS 田野畑高放送委員会」)


卒業にあたって

三年間を振り返ってみると、次から次へと思い出がよみがえってくる。ひとつひとつ 番組を作るたびに、今まで知らなかったことに気づいたり、広い目でものを見ることが できるようになった。そして何よりも、自分の目標である「何にでもチャレンジして 努力する」ということが達成できたこと、小さい高校でもやればできるということを 示せたことが、私の三年間を宝物にしたように思う。

(1994/1995年度放送委員長 えりこ)


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